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ちょっと本を作っています

ちょっと本を作っています

第二章 協力出版と懸賞募集の甘い罠

第二章 協力出版と懸賞募集の甘い罠


■個人の経費で本を作る人が増えてきた

「本にする原稿を探しています」このような広告が目立つ、昨今の新聞紙面です。

中吊り広告と呼ばれる電車のポスターでも、自費出版を募集しています。

年間出版点数一位を占めてきた講談社も、自費出版業者に追い抜かれました。

自費出版花盛りといえば結構ですが、多くの問題を抱えているようです。

その背景には本の売上げ不振があります。

長引く出版不況の中で、出版業者も変質しました。

読者が買わないから、著者からお金をださせようという意図が見え隠れします。

既存の出版社が、売れセンの類似書ばかりを追いかけていることにも起因しています。

個性のある本、独創的な本は、企画を提案しても、どの出版社も取りあげてくれないのです。

一方で、自分なりの思いを込めた本を作りたい人は増加しつづけています。

核家族化、地域とのつながりの欠如、ともすれば自分を見失いそうになる現代社会の中での、自己表現欲求の高まりが背景にあります。

「私はここにいます」と叫びだしたい環境が取り巻いています。

出版社がだしてくれないなら、自分で費用を負担してでも本をだしたい人たちの増加です。

ところが、そのような人たちに悪乗りしている出版業者の暗躍が目立ちます。


■「協力出版」という名の甘い罠

「今度、本をだすことになってね」

「買ってよね。本屋さんにも並ぶから」

ある雑誌社を定年退職した友人が報告にきました。

「すごいですね。どんな内容ですか?」

「何冊ですか?」

「ところで費用は?」

いくつか聞いているうちに、私のほうが青くなってしまいました。

「二百ページぐらいの上製本で千冊だよ」

「ん、費用。約三百万円ぐらいだね」

「協力出版なんだ。本屋さんで売ってくれるんだよ」

「冗談じゃないですよ。印刷の直接経費だけだと百万円程度ですよ」

「自分で書いたんでしょう。ライターを使っても三百万円ならお釣りがきますよ」

「でも編集者が原稿に惚れこんでくれてさ。自社企画に推薦してくれたんだ」

「残念ながら選考から外れたけど、ぜひ本にしたいって電話をくれたんだ」

「原稿もよく読みこんでくれていて、ていねいな評価も手紙でくれたしさ」

「そこまで惚れこまれたんじゃ、よし出版費用はオレが負担しようって決めたんだ」


■すべてが仕組まれた罠にしかすぎない

この人と同じような経緯で「協力出版」に踏み切った人は多いのです。

この出版社の、原稿への美辞麗句を並べた手紙もさんざん見てきました。

最初は、個人に負担を負わせない自社企画として、推薦したってところも同じです。

最後の選考まで行ったのだけれど、惜しくも外れたって書き方も同じです。

すべてがパターン化して準備されているのです。

マクドナルドの接客マニュアルと同じようなものです。

最初は経費面で出版をちゅうちょしている人に、お金をださせるための方策が完璧なまでに準備されているのです。

ここで紹介した人の原稿は、手がつけられていなかったので引きあげました。

百二十万円で本はできました。

もちろん、本屋さんにも並べました。

個人と出版社の経費折半の印象を与える「協力出版」の美名のもとでの客集めです。

実際は、経費のすべてどころか、自分たちの利益や宣伝費も含まれています。


■懸賞募集の甘い罠

「やりたくないですね。編集者なら、もっとほかの仕事があるでしょう」

ついつい言葉がきつくなってしまいました。

私を訪ねてきた自称編集者の女性は、ア然としています。

「いい企画があるんです。相談に乗ってください。儲かります」

私の知りあいから紹介を受けたという女性が電話をかけてきました。

今働いている出版社からの独立の相談です。

会社を辞めたいともいっていました。

「懸賞応募雑誌に記事広告を載せます」

訪ねてきた女性は、二十ほどのテーマを書き連ねた、企画書なるものをテーブルの上に置きました。

『恩師への言葉』『あのとき言えなかった母への一言』『天国のあなたへ』などなど、いまさらと言いたくなるようなテーマが箇条書きされています。

「最優秀賞は賞金十万円です。そのほかにもいくつか賞を設けます」


■懸賞募集の裏側

「今までの実績だと、五十人ぐらいは応募してきます」

「最優秀賞の作品は、当然無料掲載です。賞金も払います。ほかは掲載料を払ってくれる人の分だけ掲載します」

「約五十人のうち、掲載料をだしてもいいって人は、たぶん約三十人くらい。一人五万円の掲載料で、百五十万円の掲載料収入です」

「ほかにも掲載した本を、一人平均二十冊は買ってくれます。これも五十万円ぐらいの売上げになります」

「たいした本じゃありませんから、印刷などの製作費は八十万円くらいで収まります」

「宣伝費や最優秀賞の賞金などを払っても、一冊につき七十万円は残ります」

「私一人で毎月二点はできます。いまもやらされています。でもお給料が安くて……」

「その本、何冊作るんですか? もちろん本屋さんにも並べるのでしょう」

「千冊ってとこですね。ムリして本屋さんに並べる必要もないし」


■ここまでくれば詐欺そのものでは

「じゃあ、書いた本人たち以外は読まない。本屋さんの店頭にも並ばない。ちょっとひどいんじゃないですか、それって」

「懸賞募集ってアメ玉で釣って、お金をださせようってことじゃないですか」

「それに懸賞の審査は誰がやるんですか」

「誰でもいいですよ。私でもできるし、別に資格が必要なわけじゃないんだから」

「それにね。一度原稿をまとめると印刷物にしたいって、誰でも思うんです」

「最初はその気がなくても、結構みんなお金をだすんですよ」

そのとき彼女の働いていた会社は、懸賞募集専門の出版社だったようです。

社長だけがぜいたくな生活をしていると、口を尖らせて話していました。

あとで彼女が置いていった懸賞募集の作品集に目をとおしました。

誤字誤植だらけです。

本としてのまとまりもないような駄文の寄せ集めです。

小学生の作文以下の文章も数多くありました。

少なくとも出版社という看板を掲げ、編集者の名刺をもった人の手がけた本とは思えません。

彼女が帰ったあと、渡された名刺と本はゴミ箱へ投げ捨てました。

もう二度と会うこともないでしょう。

私が本を捨てるってことはまずあり得ないんですよ。

その場に残されていたのは「本もどき」の、紙の束としか思えなかったのです。


■読者という存在

本にするってことは人に読んでもらうためだと、私は幾度も強調しています。

分かっているようでなかなか見えてこないのが、この読者の存在です。

自費出版が増えて、出版社も不特定多数の浮気な読者を相手にしなくなりました。

お金をだしてくれる著者に迎合するほうがてっとり早いのです。

ある大手の出版社の営業部長が訪ねてきました。

将来、私と組んで出版事業を起こしたいのだそうです。

「やっぱり自費出版だよ。今では大手の出版社だってみんな自費出版で稼いでいるよ」

「うちの会社でも、書籍の中で利益のあがっているのは自費出版だけだよ」

「○○出版から本をだした。本屋さんに並べられるってだけで三百万はだすもんな」

「あんたと組めば、十分儲かるよ。一緒にやろうよ」

私はにこやかに、「やってみればいいじゃん。商売にするならそれしかないかもね」とだけ言っておきました。

そう、商売にして儲けるためには……。

ますます読者の存在が希薄になっています。


■読者のいない本って何?

自分の主張を知ってもらいたいから本にするのです。

自分の感動したことに、共感を覚えて欲しいから本にします。

本、書籍は、テレビや新聞ほどのマスメディアではありません。

でもたとえ限られた層の人たちとはいえ、不特定多数を対象にした情報発信です。

それも垂れ流しのテレビの放送や定期購読の新聞などとは異なります。

一点一点読者が吟味をして、本を選んで買ってくれるのです。

この不特定多数の読者層の存在を抜きに、出版物は考えられないと思います。

確かに読者は浮気です。

なかなか振り返ってくれない人に、ラブコールを送りつづけているような空しさを感じます。

でも読者なのです。どうしても振り返ってもらいたい人なのです。

やはり、読者の読みたいものが何なのかが一番大切です。

そして、どのように表現すれば、こちらの真意が分かってもらえるのか。

どのようにすれば読んでもらえるのかを考えるのは、本を提供する側の責任だと思います。


■読者のニーズに応えられないようでは

「テーマは何ですか? どのような読者を想定していますか」

出版のお話をいただくたびに、私はいくども問い返します。

そして編集者としての私は、その想定された読者層の視点から原稿を読み返します。

「これじゃ何をいいたいのか分かりません。テーマがあいまいです」

「自分のための備忘録ならいいですよ」

「でも人に読んでもらうのに、これでいいんですか」

「読んでくれた読者に失礼じゃないですか。タイトルにだまされたって言われますよ」

ようやく原稿が完成しても、編集作業と原稿の手直しが待っています。

「読みやすいように見開き二ページで一項目をまとめましょう」

「小見出しを増やして、それぞれの箇所で何を知って欲しいのか強調しましょう」

「もう少し会話形式を取り入れたほうがいいかな」

私は、注文の多い編集者に早変わりです。

もちろん、読者の立場に立っています。

自費出版物にこんなに手を加えていたら、確かに採算はとれません。

私の注文が多すぎて、いつまでたっても本としてまとまらなかったこともたびたびあります。

「これで十分ですよ。良くできているじゃないですか」

甘い言葉で賛辞の百連発をする出版社や編集者のいるところへ、鞍替えした人も数限りなくいます。

「私は読者のために本を作っているんじゃない。お金を出すのは私なんだ」

このような捨て台詞を残して去っていった人もいます。

私はそのような人たちの考え方を否定はしません。

ただ本の体裁を整えるだけでお金をもらえるなら、私にとってもいい商売です。

ただし本屋さんに並べようとするときだけは、本来の出版の目的を理解してもらいたいのです。

読んでもらうために本を作るんだという課題です。

だから私は食えない出版人なのかもしれません。

でもこれは本に携わる者の最低の責務だと思っています。

良心的といえばカッコいいんですが、これではまるっきりお金になりません。

中身のどうでもいい宗教書や、バイブル商法に使われる健康書はお金になります。

お金もちの自費出版の本などは、もっとお金になります。

でもそのような本は、ゴマをすってくれる出版社へ行ってしまいます。

このような本が一番お金になるんですけどね……。


第三章へとつづく

38万円で本ができた


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